冬のライオン続き

 それにしても反則を承知で述べるならヒロインのエレナはアリエノール・ダキテーヌだ。「恋愛を発明した」トゥルバドールの本拠、西欧抒情詩が生み出されたその時代を受け継いで発祥地を統べた女領主なわけで。

 恋愛を発見したといっても当然ながらそれ以前に男女間の遣り取りがなかったという話じゃなく。封建制は人と土地が分かちがたく結びついた状態でもって人(土地)と人(土地)のカップリングで秩序形成を行う。そーゆー封建制が成熟していくにあたってローマカトリックやフランス王権が見いだされてくのと同様に、恋愛もまた現実の政策執行に直接働きかける政治理念として見出された具体的な力に他ならなかったわけで。土地が人を縛り付けるのが当り前の時代にあって実力本位のカップリングの関係の網目模様で縛られた現実をどう生き動かし社会に秩序を見出していくかといったとき、先祖の英雄の叙事詩でも教会の賛美歌をうたうのでもなく「人情」を(情といえば男女の沙汰だ)選択したのがアリエノール・ダキテーヌの領有する南仏の領主たちで。恋愛は何よりもまず現実的な力だ。

 だから、いかに堂々たる大女優の文句のつけどころのない演技であっても、むしろそれゆえにこそ「恋愛」がそうした力として見られることのない映画の形式性を問わないとならない。加えて一方の封建新時代の雄であるフランス王はフィリップ2世、所有する地についてきた臣従礼を回避し王権を封建関係のメタ上位に置いた、つまりカップリングを都合よく逃げて相手を掘りつつ自分の尻穴だけは守ろうとする王権方針の基礎を築いた国王である(映画ではリチャード1世とのあわやのベッドシーンで暗示される)。このメタ恋愛者を「機械仕掛けの神」の役どころに疑いを挟まず置いてしまう不均衡さもまた問われないといけない。