レス

2007年01月20日02:29 マスター弩門

ストーリーはまあ、今見るとがんばってるけど
がんばってるだけだと思うし、でもそうではな
くて、ロボットが殺陣をするとか、見栄を切る
とかそういうものが子供心にすごくかっこよか
ったわけで、今見れば無様なGファイターだっ
て超カッコ良かったわけで。今から見たら結構
なんだ? ってことになる。でもそれが良かっ
た。ダイターンとかといっしょでキャタピラの
ついた戦闘機でも、盾持った爆撃機でもそれに
説得力があった時代なんだから。
 ちなみにリュウが死んだとき特に悲しくなか
った。マチルダさんが死んでも悲しくなかった。
全然感情移入できるキャラじゃなかったし。そ
ういう意味ではどこまで行ってもロボットアニ
メだったな。

2007年01月20日11:27 みゃーこ

や。Gアーマー大好きですし、それが「戦争でリアルに人が死ぬ話」に出てることは僕にとって全く問題じゃないわけです。僕は基本的に「メカどうでもいい人」であって、メカのリアリティへの拘泥が無いんで、それは欠点にならないし、説得力不足につながるわけでもない。基本的には絵の説得力のほうが先行します。
玩具アニメて、それで割り切れていたはずなんですよね。でも、その割り切り方に納得がいかなくて、その先へと進んだ。「その先」はでも、玩具アニメとしての「その先」であって、玩具が売れない時点で限界点でもあったわけです。限界を越えたら、僕ら受け手は玩具アニメを卒業して別のメディアへ行っても良かった。
けれども、「その先」に対してプラモデルという形でフォーマットが追随するというアクロバット展開があって、プラモデルやガレージキットの軸がオタク軸として機能してはじめて「男のオタク」が回転しはじめて、そこで「ロボットアニメ」がジャンルとして結晶化して、それは20年後にはガレージキット造型からフィードバックするようにして萌えキャラ造型の展開へも繋がっていって、ていう。そういう派生の動きを僕らがどこまで追いかけられているか、ていう話。書くと長くなるけど。

アムロの視点で見ていくと、リュウやマチルダの死、てのは連続してて、そこからウッディの死に辿り着いてようやく伏線としての効果を発揮するんですよね。でも、よほど早熟じゃないとアムロの視点に感情移入できるかつーと無理だと思う。