続き

ククルス・ドアンあたり無視するにしても、明らかに展開のバランスが崩れ気味だったりする。ジオン軍を「悪い宇宙人」じゃなく普通の軍隊にしたことや、ホワイトベースジオン軍の制圧地域をさまよう孤立状態にしたことといった、設定上からくる無茶な綱渡りから敵であるジオン兵ばかり描写され(連邦軍寄りの正義を保証してくれる人間くさい連邦軍人や、あるいは連邦住民の被害者は序盤のサイド7でしか描写されない。ホワイトベースに乗ってる難民はジオン兵の人間くささを描写する形で使われるしまつ)、それに慣れてしまった状態でリュウやマチルダが死んでも、正直あまりショックじゃなかったり。そのバランスの悪さを誤魔化すために長尺で「リュウさーん!」「マチルダさーん!」てお涙頂戴をやってんじゃないかと疑いたくなるわけです。ミハルの死もね。カイとミハルのやりとりは良いんだけど、現地のスパイを殆ど思いつき的にホワイトベースに乗り込ませるシャアの命令そのものに「無謀な命令だな…」て違和感を感じてる状態でサクッと殺されても、雑なお涙頂戴にしか思えない。

アムロの視界内で、アムロが共感しうる死が段階的な形で描写されなければならない、てのは理解できるんです。「アムロの物語」「ブライトの物語」としては、よく出来てるんです。打ち切りされるってのに、よくぞまとめた、というのも判る。
ただ流石に、とっちらかり過ぎというか。とりわけ目立つのはメカ関連。アムロホワイトベースを脱走してる話数の冒頭にガンダム空中換装(昔で言えば3体合体)シーンを持ってきて
ホワイトベースを脱走したアムロには、こんな訓練をする事もないのかもしれぬ」
とかやったり(どこの『ぴちぴちピッチピュア』だ)、あるいは新しく補給されたGアーマーに
ガンダム中心で考えすぎてますから」
とコメント付けたり。足なんて飾りですよ、は有名だけど、おもちゃメカをリアリティとの折り合いを付けつつ出すことに労力をかけても、それは何処まで行ってもフォーマットを補強することになっても壊すことにはならないわけです。その結果として「リアルロボット」ていう玩具屋とは無関係なロボ物フォーマットの縛りを生み出して、自縄自縛に陥りもするわけで。