長くなったので切った

で、ノベルゲームの人称は、かつてはゲームのシステムの領域に極めて近かったはずです。

3Dダンジョンの視点は一人称、戦術シミュレーションの上から見下ろすマップは3人称。ゲームブック的二人称はメインシステム外部のフォロー用サブシステム(ヘルプ)の位置付け。

今も昔も言葉に拠らずに視覚聴覚でわかるのが良いTVゲームであるのは変わらないけれども、ここで問題となるのは段階的に文章が全てを肩代わりしていく(例えば『同級生』的ナンパゲームの場所移動などを全て文章で代替する『 To Heart 』の登場)過程で元の書式がわからなくなっている、というのが現状、と。

2006年12月30日22:45 かおる

ToHeartは移動マップじゃなかったでしたっけ?
PSからここにいますよアイコンが出るようになった、的な。

2006年12月30日23:27 みゃーこ

えーと、PCの最初のはね、テキスト選択肢で移動を指定するの。選択肢が「2階を歩く」「1階を歩く」て文字であって、だからシステム的にはノベルなんですよ。あの、「ONE」で繭が逃げ出して掴まえるのにさ、「2階を探す」「3階を探す」て選ばされるんだけど、あれ多分、東鳩のパロディのつもりなんじゃないかと。
で、PS版で、マップ用意されたらアイコンもついてきました、という。

だから、東鳩のは、厳密には「文章を選ぶ」とは言いがたいんですよね。一人称とも三人称とも言いがたいグレーゾーンで、シナリオライターもそのメタ的なシチュエーションを心得てるふうでもあって。その半端な感触が、あたしからするとすげえ気持ち悪いんですよ。なんつーの、「せっかくだからオレはこの2階を歩くぜ」みたいな。

追記。
移動マップつっても、2F、1F、校舎外、学外…と丸ごと入れ替わるので「同級生」的な、あるいは「とらいあんぐるハート」や「つよきす」のような、主人公が移動するためのマップとは意味がちょっと違うの。『 To Heart 』の特殊性は充分に研究されないと、いろいろ見誤ると思う。