だめだ楽しい

コードギアスを見直してたら、だいぶ回復した。

ローテーション的には「Kanon」>(Kanonでダメージを受けた場合)「ときメモOL」>(ときメモで奇襲されて大ダメージを受けた場合)「コードギアス」といった感じで行けそう。

いやしかし2話の多幸感ったらないなあ。シャアでラインハルトな主人公がガサラキTAを指揮して市街戦、それを全部ぶち壊しにするエウレカな地球連邦ならぬ帝国の白いモビルスーツ、てゆか黒いホワイトベースだもんな。SEEDの志を正しく受け継いでる。何が凄いってCLAMPなキャラはちゃんとCLAMPキャラらしく、トミノ風味のキャラはちゃんとトミノ風味らしく見えて、しかも両者が入り交じって会話してるのに違和感を感じないていう。よくぞここまで。

で、コードギアスに関しては谷口監督の不得意要素てのは、今のところ見当たらないんじゃないかしら。憶測だけども、谷口監督の苦手なのは、おそらく精神論を主軸にした展開に説得力を与えるような演出だと思う。努力や根性や気合で物事が何とかなる、といった精神論なんざ毛ほども気にかけてはいないだろうけれど、そうした精神論を振りかざしてみせることこそがインテリ向けだろうと企業家向けだろうと庶民向けだろうと例外なく日本人に最も受ける外せない娯楽要素であることも多分わかってて、だから一応はそゆ悟ったりするシーンを入れるけども、そういうシーンに対し演出的に説得力をもたせる気があまりない、ように見受けられる。ガンソードのヴァンのそれはもちろん、プラネテスの八郎太のもシリーズ全体の積み重ねで効果が発揮されてるんで、悟りを開くみたいなシーンだけ抜き出すとまるで説得力がない。要するにいわゆるところの素直な人格的な成長とか、ナイ。状況に追い詰められて煮詰まってくのはあるけど。

ちなみに精神論が全てにおいて優越する、て描写をアニメや漫画で支えてきたのは表現技術の進歩で、要するに「他のシーンより多く書き込んである」「瞳に炎を書き込むなど前衛的表現を採用する」「カッコイイ音楽をならす」「声優にありえないくらいシャウトさせる」といった表現レベルでの優位が物語内の論理的な展開を覆すわけですが、そうなると当然、表現技法の進歩が頭打ちになると精神論の説得力も頭打ちとなります。

さておき、今のところ、そゆ要素は排除されてるっぽいので、僕のほうは安心して見れます。
眠いのでここまで。