谷川流のほう。
えーと、まずイラストや売り方について絶対に本文で言及しない。文庫化されてる作品は全部目を通したはずだけど、いかにも現状批判に読めてしまう部分がターゲットにしてる(ようにみえる)のは物語、ガジェット、設定、小説の文章部分の担当の中身だけ。
で、商業誌デビューは「涼宮ハルヒの憂鬱」「学校を出よう!」ではなくて、「電撃!!イージス5」でさ、これ「ビジュアルノベル」て紹介されてるんだよね。それで今回の「ボクのセカイをまもるヒト」も電撃マ王で連載開始てことでイージス5に近い。エロゲーのほうのビジュアルノベルとの近しさを意識するよね、普通に。(つーか涼宮ハルヒて名前だって出た頃は涼宮遥http://www.age-soft.co.jp/Product/Kimibo/c001.htmを連想させる名前として一部のエロゲーオタから認識されてたはず。偶然かどうかは知ったことじゃないが)後書きなんか読んでても、イラストについて意識してないはずがなく。
まあ、作者が挿絵イラストにどういう想いを抱いてるかは知ったことじゃないんだけど、ともあれ一つ、言えることがあって。
こーゆー感じでメタなことやってても、文章で文章内の何を破壊してみせても、イラストのほうは厳然としてそこにある、ていう。
いや、そもそも、文章が普通に上手ければ挿絵のある無しに影響されないはずなんですけどね。むしろ挿絵の意味のほうを侵食する。ノベルADVのシナリオなんて、極言すれば立ち絵の長大なる解説で。シナリオが与える陰影が、立ち絵の乏しい表情を幾重にも複雑に重層的に人間的に見せる、そーゆーものであって。
だから「挿絵の解説」て書いたんですが。
脱線。
えーとだから谷川流は、何だかんだで萌え萌えノベルの最前線に立ってしまってるし、「上手なミステリの書き方教えます CURE」のほうは、そういう話とは無縁なんで、まるきり別物じゃないかなあ、と。