関連して

とりあえず先にるりあ先生宛にhttp://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060408/への言い訳を書いておくと、大塚英志の元のホン『キャラクター小説の作り方』で念頭にあるのがどうもグループSNEの「ロードス島戦記」界隈のTRPGで、大塚英志はどうもウィザードリィに代表されるようなひたすらダンジョン探検&戦闘に没頭するていうRPGの大きな側面を完全に無視してRPGていう「物語を語るゲーム」を理解してるっぽい、てのがありまして。「エロいらね」ならぬ「戦闘システムいらね・完全別物」みたいな価値観。で、たぶん大塚英志が鵜呑みにしてるっぽいRPG話の、特にTRPG界隈のシステム優劣論やシナリオやゲーム性を巡る対立、アンチグループSNEホビージャパンの会社的偏りっぷり、新和やら社会思想社やら角川やらのそれぞれの出版サイドの思惑、の陰の単なる個人間の対立、懐かしのサークルクラなんたらとか、まあそのへん一帯を指して僕は「TRPG言説界隈の捩れ」て言ってるんですけど。
えーとそのへん、アシュタサポテていうサイトで一刀両断されてる記事があったんだけどみつからないっすね。つまりTRPGという<ゲーム>をどうにかして成立させるためには非常に排他的な言語ゲーム集団が構造的に不可欠で、そのことに対する自覚のない振る舞いが極端な異端排除の態度や論調を醸成させる、といったような議論なんですけど、読んだ当時はあーあーあーあーて物凄い勢いで首を縦に振ったものですが。ちなみに僕は「クトゥルフの呼び声」のプレイヤーだったので、なんか書くとアンチグループSNEサイドですね。ドラゴンマガジン他人に借りて読んでたしソードワールドも結構遊びましたけど。
薫さんの非電源ゲーマーどうこうはどういう括りで書いてるのかよく知りません。