「もしも明日が晴れならば」

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もしも明日が晴れならば、空の向こうが見えるかも

そこで五七調かよ、てタイミングで言うのな。そういうズレが好きなんだけど。
上の引用はシナリオから。ヒロインとのH本番前にEDを迎えてしまい、*1ED曲もスタッフロールもついてこない、一般的には「バッドエンド」の括りで扱われるルートでの主人公の独白。作品タイトルと本編内容を繋げるのは、上の一文のみ。
で、香坂彩乃が締めてくれる。
本編プレイ前の所感、id:tdaidouji:20060226#p1
バカなことを書いたもんである。なんでそういうふうに作っているかなんて判っていたのに、後でその落差を演出するための自作自演。そんなことをする必要なんてあるはずもないのに。つくづく自分が嫌になる。
このスタッフのシリーズは、「選ばれなかったヒロイン」や「ヒロインではない視界の外側の人々」をいささか大事にする傾向がある。というより、男性主人公でもヒロインでもないその他の人たちへの思い入れのほうがしばしば滲み出る。前々作の「Sultan」では妻を複数持てる世界観、立場に主人公を立てながら、三角関係をモチーフにし続け、社会的立場(王子)からくる義務の描写もまたその延長のように記述される。
前作「Dear My Friend」でも、主人公と告白相手との振る/振られる展開が必ず織り込まれる。その象徴がやはり「バッドエンド」シナリオだろう。「Dear My Friend」では、マップ画面にヒロインアイコンが表示され、そこで一人のヒロインだけを追っていけばヒロインと結ばれるようになっている。そこには攻略要素の欠片もない。そうした構成にも関わらずプレイヤーが複数のヒロインの間を行ったり来たりしていた場合、バレンタインデーで「バッドエンド」となる。複数の女性に囲まれながら本命チョコを一つももらえずくさる主人公に、親友の杉野司(http://www.light.gr.jp/light/products/dearmy/other.htm参照、男性だが女性声優採用、性格良し面倒見良しルックス良し)が本命チョコを渡してくれるのだが、主人公は相手が男だからという理由で振ってしまう。司による親友(主人公)への告白と、そのシナリオ最後の一文、「お友達でいましょう」が作品タイトルの「Dear My Friend」に繋がっている。
ノベルエロゲーのお約束上「バッドエンド」扱いとならざるをえないシナリオを作品タイトルにリンクさせるという手法は、例えばEDの挿入歌に失恋の歌を持ってきてしまう『My Merry May』のシリーズにも通じていて、まあ僕の好みの方向性はそのへんになってしまうということなんだけど。

片想いだろうが なんだろうが
学校に行けば 君に会うことが出来た
それが当り前だった
勇気がなくて 言えずじまいでも
いつかは言える そう信じていた
夏が過ぎ 秋がきて また冬を越えたら
ずっと
...
 
「月の足音」より

あー、
バカだ。俺は。

*1:明穂とのエッチは可能でした。チェック不足。