八尋 茂樹『テレビゲーム解釈論序説―アッサンブラージュ』現代書館

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31576554
ゲーム系のサイトや日記で少し話題になってる本。本屋で立ち読みしようと思ったのに見つけられず、しょうがないので取り寄せた。
で、記述の五分の一ぐらいエロゲー/ギャルゲー関連。多分、著者の頭の中の半分ぐらいエロゲー/ギャルゲー。てゆか「はじめに」の記述が。




ところで、著者自身のテレビゲーム研究の軌跡を振り返ってみると、福祉臨床的活動の過程で出会った、かつてひきこもっていた青少年たちから、多大な影響を受けていることに気づく。中でも、近年キーワードとなっている「萌え」や「美少女/美少年ゲーム」を身近なものとして捉えるようになったのは、紛れもなく彼らとの接触後である。
(中略)
19歳だった男性(14歳から数年間)は、社会復帰を目指して母親の知人の会社でアルバイトをしていたが、後に正社員として雇用されるようになるまで勤労意欲を持続させることができたのは、他でもない「アニメのビデオや美少女ゲームを購入する資金を稼ぐため」であった。そして、20代となった現在では、美少女ゲームからアイドルのコンサート巡りへと「路線変更」して、元気に働いているという。また、近年出会った10代後半の女性(15歳から断続的)は、家族のすすめで始めたコンビニのアルバイト中に知り合った男性に恋心を抱き、男性の帰宅を尾行するなどのストーカー行為へと発展させてしまったのだが、もともと熱狂的な少女マンガ・ファンであった彼女は、ボーイズ・ラブ系と呼ばれる美少年ゲームとの出会いによってその危機的状態から救われた。
※なお、ひきこもり体験者の事例に関しては、本人と家族に掲載の許可を得た。

・・・いやまあ、人生いろいろで。香山リカのゲーム擁護なんて上の例に比べたらつまんないことこの上ないつーか。
そんな感じで、「はじめに」の3割強が上記のような記事に割かれてます。
この他にも、本文における「記号的恋愛のディスクール」の章は丸ごとエロゲー/ギャルゲー/BLゲー/アンジェリーク系ゲー(乙女ゲー)関連に割いているし、わかんねえだろうコレみたいな専門用語(ツインテールとか)が説明なしに使われてるし、巻末の「サプリメント」という節では100〜200におよぶエロゲーのタイトルの羅列とそこで出てくる性描写の分類統計があって、なんかもー「これから本腰入れてエロゲー論を書くぞ!」という気合がひしひしと伝わってきまして。ゲームと現実との交点を探すのにエロ・恋愛関連が一番手っ取り早いのは、まあ確かにそうなんですけど。あとテキストが豊富にあるから文系論者からすると語りやすいしね。語りやすいから失敗しやすいてのも事実だけど。
 
で、エロゲーおよびサウンドノベル関連だけ先に目を通しときました。
本文は主に雑誌掲載の論文を集めたもので、とりあえずは「商業出版された論文集」としてガッチリ作ってあるのは当然のこととはいえ頭が下がります。と同時に、そういう基礎をしっかり据えるとこからスタートするとやっぱり「こう」なるんだよなあ、という気の遠くなるような距離も感じたり。
既存の文脈からアプローチしてるので、個々のセンテンスはネット検索でそっち系の「評論」のたぐいを読んでいれば既視感あふれる内容となっています。ただし密度は異様に濃く、短い文章にネット上の文章の10kbを圧縮したような発言内容。事情を知らない人だと読むのに相当時間がかかると思われます。ツッコミどころは多数ありますが、ところどころ良さげ。サウンドノベルを論じるにあたって赤川次郎原作のそれを取り上げて通常の小説と比較するのは切り口として上手いと思いました。とりあえず研究してるうちに自分もエロゲー系にハマっていったと思われる節がところどころに見られ、思わず
ナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )
と和む俺がいたり。
とりわけ「記号的恋愛のディスクール」の章の1ページ目、「恋愛シミュレーションゲームの画面」のサンプル写真に『僕と、僕らの夏』の貴理と有夏の立ち絵が並んでるシーンを選択してるのを見て、俺も丁度プレイ中のこともあって「わかる、わかるよそれ! この手の<美少女ゲームの全体像を語る>みたいな話には持ってこいの素材だもんな! 貴理かわいいし!」とダメサブカルな共闘意識を持ってしまったり。
というわけで、著者を『僕と、僕らの夏』好きなエロゲー論者に認定します。がんばれー。