ハイスペック人間てんこ盛りストーリーに対する問題意識

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ハイスペック人間てんこ盛りストーリーに対する問題意識の精度、その処理方法の選択。とても素晴らしい。

異論あります。少なくとも「ネギま!」のソレを持ち込む話題じゃない。

>3−Aの連中は/イヤなんだよ!!/バカのくせにスペック/高い奴ばっかりで‥‥

それは赤松健の「萌え絵」を記号として突き詰めてく画風作風の帰結でないのかしら。私には11巻のそれは上滑りして見えた。てゆか「ネギま!」はそういう「ちょっといい話」をやると、いつも滑るんだけど。

>何もわかってませんね
>もとから美肌で/顔もよくてスタイルもいい/ナチュラルボーンキレイカワイイな/人種と一緒にしないでください
>私は素材的にいって/ごくごく普通の/一般女子中学生/なんです

翻訳すると「ソバカス眼鏡」ってことで。昔の少女漫画のお約束を言葉に言い換えただけのことなんだけど、いちいち言葉にしなかったら誰も気づかない話でさ。実際、絵で見て区別はつかないし、コスプレコンテストのステージ上で照れる千雨はかわいいし抜ける。
昔は眼鏡といえば可愛くない子の記号としてそれなりに機能してたと思う。それが失効するのはやっぱし「眼鏡っ子」て言葉の発明によるもので、「眼鏡っ子萌え」が萌え記号市場でそれなりの勢力がある以上、そして赤松画風がキャラ萌え市場に高精度に対応している以上、千雨もまた「ハイスペック人間」に自動的にエントリーされてしまう。
「萌え」って結局のところSF的感性の変奏でさ、『宇宙英雄物語』の「燃える!」が涙滴型宇宙船に向けられるように*1手の届かないところへの共感の表明、一時期に流行った言い方でいえば信仰に近い感覚で。SF的感性が、未来志向・技術志向のタガを外されて抽象化された対象全般に行き渡っていくような印象があって、それを媒介してきたのはやっぱし「萌える絵柄」であって。そういう「萌える絵柄」の枠組みをガッチリ回収していった「ネギま!」の構造を崩さずに台詞でだけ「私は普通の女子中学生」と言われても実感はわかない。それこそ貴族の若様の言葉遊びの体制批判て感じで、イーガン読んでSFの問題意識がどうこう言ってるのと同レベルに見えてしまう。
少なくとも、「問題意識の精度、その処理方法の選択。とても素晴らしい」とは思えません。

*1:私の感覚だと、『宇宙英雄物語』の「燃える」が「萌え」の心理に先んじていて、かつ一番近いと思う。