『シンフォニック=レイン』工画堂

遊びに来ていた人の一人をうまいことひっかけて、リセのシナリオを最後までやりました。ああいう展開になるとは思ってませんでしたので、ごめんねー。*1
んー。こーゆーふうにシナリオ展開から語るのが妥当な作品だとは、あまり思っていません。といって、何から語ればいいのやら。まだシナリオ数では2本しかクリアしてないし。
たとえば、主人公に双子の幼馴染がいてそのうち恋人同士の関係の一人が生まれ故郷にいて週1回の手紙のやり取りをしていて、さらにもう一人は同じ学校に来ていてアンサンブルのパートナーになるような親しい関係で、その「遠恋の幼馴染」と「恋人とそっくりの幼馴染」を中原麻衣一人二役で演じている、というだけで既に底意地の悪さが剥き出しになっているのですけれども。
同じシナリオライターによる『 My Merry May 』および『 My Merry Maybe 』でもメインヒロインを演じる松岡由貴による一人二役、一人三役(細かく数えていくと五役以上?)の独演会状態で、そしてまたそれが底意地が悪く活用されていてね。レプリス(マイメリ世界内のアンドロイドさんの名称)ていう、人間に奉仕するために作られたロボ子さんたち、彼女らの声を全て、一人で演じてる。『Maybe』のクライマックス、声優さんの演技だけで頭の芯が痺れて身動きがとれなくなったものですが、あそこまで声優さんの声の「空虚さ」を悪用しつくして、鏡写しの自らの欲望が逆流して身体にまとわりついて締め付けてくるように仕向ける演出ていうのは、声に「オカズ」を求めてしまうエロゲーの土壌からは生まれなかったろうな、と。
それは販売市場の事情からエロシーンの特権化を追い求めて「元長ゲー」という袋小路へと行き着いてしまった*2のと対極の、「エロのないエロゲー移植」近辺から発生してしまった恐竜的進化で、「エロゲー」とエロゲーに付随する形で進化した「萌え」の地盤沈下に伴ってクローズアップされてきたものではあるのですけれども、一方でこちらも『May』でギリギリのバランスを取っていたものが『Maybe』で自家中毒的とでもいいますか、煮詰まった様相を呈していたわけでありまして、さて今回、音をテーマにした本作で、現状の「ノベルゲー」の呪縛をどこまで断ち切れるのか。
まだまだ、先は長いです。

*1:メインのシナリオライターが陰湿なのは知ってるので、大方予想はついてましたが

*2:Sense Off』の『cosmic run』が射精、『the end of the world』が精子卵子の擬人化シーン