フィクションの少年少女

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050301-00000481-jij-soci

たとえばこーゆー話に対して、「朝日新聞を読むと犯罪を犯す可能性が高い」とか「自動販売機は殺人を促す」ていう「たとえ話」が持ち出されるのだけれども、もちろんそんなたわごとは世間の大勢を覆すことはできないわけです。上記のことはようするに事実、現実、真実、ノンフィクションていう名の多数派にマイノリティや新興世代の子たちがどうやって立ち向かうかという話なんだろうけれど、つまりは「絵空事だから」「フィクションだから」ていう名前で区別されるっていう形がまず最初の話なんだけれども、それをエロとか暴力とか言い換えているだけでね。
えーとつまり、「現実の戦争」はオケーだけど「フィクションの戦争」は不許可で、「現実の殺人」はアリだけど「絵空事の殺人」は駄目なの。「現実」は、いろんな事情があって複雑だから。いまどき、こんなつまんない話をわざわざ書かなきゃなんないてのも困ったもんだと思いますが、有害図書ていう考え方は本トーに、それだけでしかないんで。

じゃあフィクションてどこにあるのさ、というと、わりとなかったりしてね。フィクションのかわりに「お約束」があったり「現実」があったりして、「フィクション」を見て喜んでるはずの人たちは実は「お約束」や「現実」を見て喜んでいて、「フィクション」のことは割とどうでもいいと思っていたりしてね。だから攻撃されているのが「フィクション」だということに気づかないのかもしれない。

じゃあお前の言うフィクションって何だよ、という質問への回答は、かつてこの世に生まれもせず存在したことすらない少年少女たちの誕生日を祝うこと、と答えておきます。
わからないという人は、まず死んだ子の歳を数える親をイメージしてください。次に死んだ友達のことを、死んだ恋人のことを、死んだ家族のことを忘れずに覚えている人のことをイメージしてください。ではその「死んだ人」を「この世に生を受けることすらかなわなかった人」に、さらに「そもそもこの世に存在すらしていない人」に、入れ替えていってください。
それがフィクションの少年少女で、彼らについての話が「フィクション」です。