表現規制について

そもそも何をして「表現」と云うのか、という自覚も認識もなしに「表現・言論の自由」を言い立てる奴が多いよな、とは思う。
先日、はてな村ポピュリズムの象徴になりつつあるコンビニ店長の文章に対し、「他人のモノ言う権利を奪う文章だからお前の文章は書いちゃいけない文章である」と述べたとき、「そういう言い方でコンビニ店長の文章を否定するお前が店長の表現の自由を奪ってる」ぐらいの非常に何も考えていないツッコミがあった。その後、ツッコミを入れた当人が、それは建前の理屈で「身内」の店長をかばう発言だった、後悔はしていない、という身内意識優先の発言であることを自白し、全く悪びれていなかったのには流石に呆れたが、彼の、一応は高等教育を受けたはずの、そこそこの年齢の成人であっても、「表現・言論の自由」について何一つ真面目に扱う気もなく、ただ他人に茶々を入れるためだけに「表現・言論の自由」という概念を振り回す態度を平気でさらしてしまう、しかも彼はコミケ等で同人活動(自称評論活動!)をやっているというのに、という体たらくに、そりゃまあ、こんなんしかいないんだったら表現も言論も成立するわけないわな、と感じ入ったものである。
言うまでもないが、「表現」を称するからには、出力する側の自我なり自意識なりがその言葉や行為、製作物といったものにリンクしてるのが前提となる。主語ありきじゃないものは表現とはみなされない。たとえば、ただ何となく意識せず「うんこ」とツイッタあたりで呟いたとして、それは表現かといえば、初歩的にはちっとも表現ではない。もちろん今は思想やら哲学やらロジックやらが発展しているから、何の気なしに呟いた「うんこ」であっても表現であると見なされる理屈はありうる。が、それは、一応は、自我なり自意識なりから延々と論理展開してった果てに、つまりゴリゴリに理論武装を押し立ててようやく表現とみなされるもので、つまり「うんこ」が表現であるためには「うんこ」の前後に気の遠くなるような論理展開を(批判されたら反論するのも含めて!)やらないといけないのであり、その理屈も含めての「うんこ」であることで、ようやく表現として認められる、というものである。ただの「うんこ」では表現とは見なされない。
とまあ、ことほどさように、表現というのは面倒なものであり、「表現の自由」などと気楽に云うやつは基本的にバカであると見なしていいのであるが、しかしまあ、世の中というのは抜け道があるもので、なんとなく呟いちゃった「うんこ」であってすら、割と簡単に「これは表現だ!」と主張するルートが存在する。反権力ってやつである。
今回、権力がなんであるかとゆーのは割愛する。とりあえず国家権力、とくに警察権力については、ここで余計な証明をしなくても、それが個人を抑圧できてしまう権力であることは言をまたないと思う。そゆ権力が乱用されてる事態に対し狙って逆らってますよ、とアピールしつつ「うんこ」とか書くのは、まあ、世間的には「表現」の領域になるらしい。
さて、そんな警察権力さんが、なんかしらんが「ネットに犯罪予告を書き込んだ」という理由で、どっかのオッサンを逮捕し、結構な長い期間、拘留したんだそうである。
詳しくは調べてないのでネット上のニュース記事をななめ読みした程度の知識で書いているが、とりあえず、いつの間にやら、ネットに「犯罪予告」とゆーのを書いたら逮捕していい、ということになってしまっている。しかも警察をたたいてるコメントの多くも「逮捕されたやつがもしかして犯人かもしれないが」なんて留保をつけてたりして、なんかネット落書きしたこと自体を悪いと見なすことに同意する風潮である。
異議を唱えたい。
なんでネット落書きで逮捕されるのが仕方ないのか。
匿名掲示板に「小学校で殺人するぜー」などと書いたら犯罪だというが、マジレスとネタ、ニュースと創作SSが入り乱れてナンボの匿名掲示板で、それが「創作物」でないと誰が証明できるのか。
今、児童ポルノ騒ぎで「表現の自由の侵害だ!」とか言ってる連中のうちの殆どの連中が当たり前に思っている、小説や漫画、アニメやTVドラマだけが「表現の自由」の理屈によって守られなければいけない、なんていう線引きが、俺は大嫌いである。彼らは既成のジャンルの中で展開される「自由」にしか興味がないからだ。既成ジャンルで飽き足らずにジャンルの枠組みからはみ出した「表現」について、彼らは守る気はない。彼らの知るマンガの形をしたものしかマンガじゃなく、アニメの形をしたものしかアニメじゃない。そんだけガンジガラメな代物を指して「自由」を言いはるなど笑止もいいところだが、彼らはそういう代物でセックスすると「表現の自由」とか言い出す。ンなもん自由でもなんでもねえよ。
彼らに、『匿名掲示板に「明日、保育園でガキを殺します」って書き込むのは創作表現だと思う?』と聞いても、どうせ違うと言うんだろう。なるほど、そういう書き込みの99%は表現の名に値しないんだろうが、これは反体制のための表現である、と強硬に主張するなら、本当にそれは「表現ではない」のか?
俺は、警察がああして「ネット上の犯罪予告」に過剰反応し逮捕者を量産するのは、それによる萎縮効果も計算に入れているんだろうな、などと勘ぐっている。「これを書いたら逮捕するぞ」と脅しをかけておいて、半端な跳ねっかえりが半端な気分で犯罪予告を悪戯書きするのを予防したい、てのも、どっかにはあるんだろうと妄想している。本当のところは知らない。ただ、そういう恫喝を狙った逮捕とその公表が、おそらくは多くの半端な跳ねっかえりの匿名掲示板ユーザーのオッサンやガキを萎縮させ、余計な悪戯書きを自粛させる効果はあったんだろうな、と、勝手に推測している。もう9割がた被害妄想の領域だが、妄想を走らせてたほうがマシだということで自制はしない。
つうか警察にイワセリャ、ネットで余計なことを書くバカが減っただけでも逮捕した甲斐があったもんだ、コレでなおも犯罪予告書くやつがいたら、そいつはガチだから逮捕する名分もある、治安維持に実際に役立ってるじゃないか、ぐらいの自家撞着の理屈ぐらいは言い出すだろう。(実際には何もやってないに等しい奴を逮捕することで警察権威を相対的に悪化させ、逆に治安悪化に一役買ってるのだが、治安悪化したら警察の権限も増すのでどうせ気にしないだろうし)
それが気に食わないのである。
大したこともしてない、ほぼ「罪もない一般人」と呼んでいい「ネットで犯罪予告したやつ」をこれみよがしに逮捕して、それで現実にちょっと頭の悪い連中が嘘犯罪予告発言を自粛してるかもしれない状況が「権力の濫用」と「権力への追従」にしか見えないだろ、などと思うのに、それを誰も言い出してないように見受けるのが、気に食わない。
こういう自粛を狙った粗雑な逮捕濫用こそ、見えない形での「言論統制」であり、「表現の自由の否定」じゃないのかい。
なんでそんなんを放置したまま、手前の都合でしか「表現の自由」を言えないんだろうね、あいつらは。
 
というわけで、以下に、「表現の自由」を求めてなんか書く。以下は全部、創作物であり、表現である。
「西暦2199年に遊星爆弾で警視庁を爆破します」
「宇宙歴0079年にコロニー落としで国会議事堂を爆破します」
「ドラグスレイブで首相官邸を爆破します」
「人類破壊爆弾で東京駅破壊します。冗談じゃないです本気です」
「バスタービームで日本橋を爆破します」
「ゴムゴムのガトリングでベイブリッジを爆破します」
「飛天御剣流でビッグサイトを爆破します」
フタエノキワミーで富士山を爆破します。宝永の噴火はフタエノキワミーのせいでした。僕もやります」

まったくもって創作の才能がないのは申し訳ない。が、才能の有無で「表現の自由」が制限されるはずはないと、そのような意味合いも含めての文才の無さの暴露であると了解いただきたい。ついでながら逮捕されるリスクを共有してもよいと考える奇特な御仁はコピペ改変して各所に貼り付け、ついでにこの「犯罪予告」にリンクしてくれればいいなとか勝手に願う次第である。いっそ「犯罪予告」をネットの時候挨拶にでもしちまえ。