まりあほりく

 客を掴んでナンボの1話でアレ、てのは何なんだ。余裕か。絵で語ることを放棄してるという意味では非物語でポストモダンなアニメなのかもしれんけど。

 印象が似てるのは下手なCG3Dアニメかなあ。見る側の都合を考えずに全部乗せできるってだけでゴチャゴチャ詰め込んでくる奴。そういう意味ではポストモダンてのは技術屋がユーザーインターフェイスていう概念を理解せず作れるってだけで作っちゃって俺は凄い正しいと思い込んでる、て話なんだろうな。「ユーザーインターフェース=金儲けの汚い手段」てな具合にしか考えてなかったりするのかも。

 まぁ、一歩下がって。たぶん、貧乏生活に慣れてた人が大金を貰ったはいいけど使いこなせてないというか、こんなセル枚数どうやっても使い切れねえよ、みたいな。かつて夢見た「うまい棒100万円分大人買い」を実践してみたらこんな感じになりました。ノベルエロゲのシステム周りの根拠もビジョンもない仕様拡張も似たようなもんだけど、エロゲとは予算もユーザー数も桁が違う分だけアニメのこーゆーのは勿体無いし罪作りだよなーと思えてしまう。

 貧乏人のこういう迷走は、お金に色がないと思ってるのが多分問題で、お金は実際に使うとなると実はいろいろ行動制限を求めてくる。つまり、お金で買えるモノには限りがあって、それなりに普遍的な価値として準貨幣的な共有概念のモノとしか交換できない。普遍性はやや下がった普遍性としか交換できないという限界を抱えてる。なので交換できる幅を持たせるために普遍性を下げるためのデチューンが普遍性維持のために大事なのだけども。

 例えばバックと手前の絵を繋げる気がないじゃない。したら両者のあいだにスキマが出来て、詰め込んでみせてるのにスカスカになる。つか、間がない代物に間を作ると両者で勝手に対立のボックスを作っちゃって、こっち向いてくれない。それよか、背景をスッカラカンにしたほうが手前の人物なりオブジェクトなりが拡張してって画面全部を充填してくれるし、場合によっては画面をはみ出して広がってくんだけど。まぁ、そーゆー画面をはみ出してくる可能性が嫌なんだろうな、というのは察せられはするが。

 最初から足が無い女の子の膝の関節を砕くことは出来ないんだぜ?