なんか

>自分の思春期はあんな楽しそうじゃなかったから、そういう作品を見ると死にたくなる…というのなら、エロゲー萌えアニメなどでの明るい学園生活が描かれているような作品でも死にたくなりそうなのだが、そういう話は聞かない。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070724/tokikakeutu

 んーと。いわゆる学園恋愛モノじゃないから、一般受けしたんで。

 昔の。

http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20060906

 いちおう説明しておくと、上は、岩男潤子じゃなくて坂本真綾バージョンの<ともよ>ですよというハンドルネームの説明と、原田知世バージョンの次のバージョンの「時かけ」ですよ、というのをかけてます。いや、「大道寺知世」のHNが表から隠れてしまったんで一応。

 んで。昔の特撮映画バージョンのほうは、シルエットで二人して時をかけてたと思うんで、その意味では昔のとはちょっと違う。男の子が走らない、というよりか、一人だけで駆けてっちゃうんで、まかり間違って、そこに何かを投影しちゃうとフラストレーションたまると思うんだな。一緒に走ってくれる人がいない。だから感情移入を誘うというよりかは、遠くで鑑賞するものとして作られてると思う。

 あと、前に「原田知世バージョンと全く変わらないのが嫌」という評をうちんとこの某お嬢がゆってたんだけども、「違わないという違い」ってのもあるんじゃないかな、と。

 例えば、「原作に忠実に作りました」なエロゲーアニメが、どうやっても「原作」からは全くかけ離れた意味を持ち、逆に、「原作と全く違うほとんどオリジナル」なエロゲーアニメが、「原作」の特定の部分をきっちり切り取ってたりするみたいに。

「繰り返し」というのは、まあ、そんなふうにして、同じであるのに同じでなかったり、違うはずなのに違わなかったりするもの、なので。