夏休み

そうかもう7月だ。
「夏休み」の前に来るのが学校、ということで。学校について割と極端に対を成してるくさいのが、我らが麻枝准VS久弥直樹の対決です。今さらこの二人を持ってきたってどっちにせよダメ対決だよなあ、とは思うけどな。とりあえず判りやすいから。
久弥新作シナリオ『MOON CHILDe』、超能力者を強制収容するおいおい何処の第3EMP学園だいみたいな場所が共通設定として用意されますが、久弥ちんは自分の担当になるやいなや主人公を学園から追い出します。正確には学園敷地内の他から隔離された聖域を勝手に捏造して、メインシナリオライターの用意した学園と世界の危機と超能力者の能力の真実、みたいな話はポイポイしちゃいます。そうして名ばかりの先生と生徒、名ばかりの学園という状況を作り出し、強引に擬似家族に仕立て上げる。ちなみに実の親との確執ネタもばっちり入ってるので、一言、ワンパターンと切り捨てて終わりに出来る内容ですのであしからず。
久弥ちんにとって、学校という枠組みは素通りしてしまうもの。自宅の目の前だから通ってる程度のもの。対象化しようとすると消えてしまうもの。彼女が通う学校なんて本当は存在しなかったんだ! ぶっちゃけ、彼は学校や学園に対して特別な意味を見出すていう考え方が出来ないっぽい。
もう片方。拘りすぎ。幼い日の思い出の黄金の野の上に建てられるのは、よりにもよって学校である。『ONE』なんか、学校に行かない曜日は当然のように飛ばされる。休日デートとかそういう発想ないのかよと突っ込む余裕すらない。違う制服のヤツは転校生、本来なら中学生っぽいヤツですら強引に主人公の通う教室内に連れ込む。彼の見出す登場人物たちは、学校の中でしか呼吸できないようにすら見える。『AIR』が「夏休み」なのは言うまでもなく、『CLANNAD』で少女達の居場所として指定されるのは「町」の各所ではなく校舎内の各所だ。町の物語つってんだからさー、居場所、もっと散らそうぜと思わなくもないが、そんな小理屈は麻枝ちんには通用しない。行き着くところ、学校に生息できない少女には死あるのみ、ていう無茶さ加減。おそるべし。
学園なり地方都市なりファンタジー世界なり、閉鎖環境というのはゲームには必須といえる。テーブルトークRPGの現代物をやる際にしばしば困るのはプレイヤーがマスターの想定していない情報源をいくらでも思いつける点に起因する。○○大学の○○教授の研究室なら○○語だって翻訳できるぜ、説得技能でロール成功したから3日以内に翻訳頼むな、こっちの粘液の成分解析やっといてくれ、マスターが心得違いで研究室を怪物に襲わせると、いやその時間なら隣の研究室に泊り込んでるヤツが必ずいるはずだ、防犯カメラはどうした、マスコミで話題になるぜこれ、エトセトラエトセトラ、どんどん話が逸れていく。