ぎゃー。

気がつけば『舞-HiME』レンタルで全部見てた。ゲームもプレイしたし漫画も読んだので後はドラマCDだけ。
今更のように一年前とかの感想をつまみ食いした感想の感想としては「キミら、サンライズがそんなに好きか」みたいな。盛り上がるのも叩くのも、盛り上がるのを叩くのも叩くのを叩くのも、それを一々ヲチして報告してんのも、なんかこういろいろと、通常以上にむず痒い。そしてコレを書くことにより自分もその痒い人たちの仲間入りである。えへん。
作ってる連中はそういうサンライズ大好き感覚も含めて「全部わかっててやってる」クチと思われるのだけど、当然ながら「わかっててやってる」だけじゃ全然偉くもなんともないので普通レベルに普通だったという感想しか残らない。しかし最終話のe-pitchマイクで好感度がグンと跳ね上がってトータル良作でした。
一応、碧ちゃんが教師である、ということは引っ掛かっておくべきところと思われる。教師をどう扱うかで「学園物」の素性は知れる。教師が単なる背景や置物、障害物、あと「犯人・被害者」みたいなお決まりガジェットでしか扱われていない場合の学園物の「学園」てのは要するに外界と隔離された小宇宙、異世界みたいなもんで、登場人物である生徒たちは学生服を着てても中身は所謂モノホンの生徒ではない。えーとハイスペック高校生だっけ、社会的役割からフリーなところに配置したいから高校生にしてるだけと思われ。だからまあ、そこに教師という生徒をダイレクトに「生徒」の枠組みに規定してしまう立場の大人が出てくるのは避けたい。
なのでまあ、『舞-HiME』はフォーマットの決まった少女漫画〜ギャルゲー系列の学園物ではございません。なんだけども、理事長が幼女(大人じゃない)だったり生徒会長が企業の営業さんと交渉するほど権限持ってたりていうそっち系のお約束を踏襲してるに見えるあたりが「わかっててやってる」ていう話。あと碧ちゃんの立ち位置をVG(ヴァリアブル・ジオ)ネタでカムフラージュしてるとことか、最初から意図的に様々な穴を空けつつソレに気付きそうな(ギャルゲー文脈に親しんでる)客層への対策を忘れてない。
それが良いとは全然思わないんだけどさ。
そいや『フタコイ オルタナティブ』と交互に見てたんだけど、コンセプトが同じ方向なんで違和感なさ過ぎて困った。楯も恋太郎も関智一だし。
ダレてきたので結論。アニメ版の『双恋』は偉大なる蛮勇であったなあ。