例によって与太話。美少女育成シミュレーションについて。

パラメーターを上げていくことを主眼とするゲームというのはデータセーブの概念が定着してから後のことであろうと推測されます。具体的にはアーケードやファミコンよりもPCのゲームに近しい。
でまあ、光栄ゲーでもけっこう早くに訓練で能力を上げるって考え方は導入されてたし、別にRPGとの関連はないと思いたいのですが、競馬などではない女性育成シミュレーションの元祖とされる「プリンセスメーカー」についていえば、これはもうどう見てもRPGの影響受けまくりなわけです。
http://www.4gamer.net/news.php?url=/weekly/charagame/005/charagame_005.shtml
まず端的にRPGパートの充実。RPGでなければゲームでなし、ぐらいにRPGが主流だった当時のこともあって、ぶっちゃけ武者修行に出てRPGパートで稼がないとプリンセスになるのは難しい、というか無理。もちろんプリンセス以外のそこそこのエンディングを目指すのであれば武者修行に出る必要はないのですが。あとファンタジーていう背景、プリンセスていう目標、等々。
で、結果としてRPGへのアンチテーゼとして美少女育成シミュレーションは出発することになる。もちろんRPGパートを採用する育成シミュレーションは左程多くはないのですが、パラメーター育成の方向性とヒロインと育成者の関係性をめぐって考えるなら、競争馬育成などのSLG起源ではなくRPG起源により近しいことは押さえておくべきでしょう。
さて、「卒業」で育て役の教師と結婚したり、「ウィザーズハーモニー」では教師ではなく同じ生徒の立場で育て役になったりと、育てる側と育てられる側の立場関係は一定ではなく、かなりの試行錯誤が行われています。要するにプレイヤーという特権的立場とパラメーターで表記されるゲーム内キャラクターとの距離を縮めるための試行錯誤なわけですが、そうした距離感へのアプローチの背景に、前述のRPG的感性はどの程度まで影響を与えているかが問題となるでしょう。つまり、アンチテーゼといえば正反対に聞こえるのですが、対峙するためにRPGと同じ足場を共有することになるのです。
で、話を飛ばして、そのへんのエロゲー本や記事を5、6ほどひっくり返すと「育成ゲームから調教路線へ」「調教路線からメイドブームへ」という記事が出てきます。このあたりは全く詳しくないのですが、「メイド」が出てくるのが育成概念からである、という所に注目しておきたい。ざっくり言ってしまえばソフトな身分差別って奴が、育成ゲームの育て役と育てられるキャラクターとの関係に当てはめられるようになる。
育成路線が後退するのに合わせてメイドはその形をかえ、「人ではない人」としてのメイドの形はメイドロボ、マルチに辿り着くことになります。そのマルチの登場する『To Heart』をニューウェーブSFだ、と持ち上げた元長柾木は『フロレアール』を作るわけですが、問題はメイドロボがノベルゲームの目立つ場所から撤退していったことです。育成路線では『MACHINE MAIDEN』などのロボ育成がありますから、メイドが「人ではない人」「人より下の人」の記号として成立しなくなった後にロボを持ってくるという考え方はそれなりに説得力があったはずでした。にも関わらず、ノベルゲームにおいてメイドロボはマルチとセリオのみが突出し、あれだけブレイクしたにもかかわらず、『To Heart』フォロワーにおいてロボについては目立っては語られなくなる。
ノベルゲームにおいても、上記で述べたプレイヤーの特権的立場とヒロインキャラクターとの距離は依然として残されています。育成シミュレーションの影響も当然ながら受け継いでいる。にも関わらず、メイドロボは隠蔽されたわけです。「恋愛ゲーム」「ニューウェーブSFの後継」「萌えキャラ」など様々な形によって。
そうした隠蔽の結果のひとつに、形骸化したメイド概念の中に風俗業の実質を再注入してブレイクしたメイドブームというのがあるのでしょうけれども、そっちは放置しとくとして、ヒロインが「ロボ」であることを正面から扱ったのが『My Merry May』になるわけです。