陰の実力者になりたくて!

うる星やつらのリメイクでフィクションの重さが昔より重いという話を見かけた。

が、現代の創作物の受容の例として「ぼっち・ざ・ろっく」を出すよりは、「陰の実力者になりたくて!」を引き合いに出すべきじゃないかなと思った。

このへんの、「なんかかっこいいアニメ映像を見せる」「美少女を出す」のためにファンタジー原作を探して引っ張ってくるシリーズについては、やってることとしてはジャンル映画の量産であり、現代の最も典型的な成功例であるマーベル映画(そろそろ無理が出てきてるけど)とそんな変わらないので普通に楽しんでるのだが、それでも「かげじつ」については「ここまで来たかあ」と感心する内容。

主人公なのだが、舞台となるファンタジー世界の設定や、他の登場人物たちの行動の流れを支える全体のストーリーに対して完全に距離を置いており、一切かかわらない。

関わらないというのは、心理や思考のレベルで知識を持たず、知ろうともせず、本当に一切の接点がない状態をずーっと維持し続けてる、というぐらいの関わらなさ。

完全に無関係なのだが、行動としては狂言回しのように関わってくる。が、その行動の動機は「フィクションのテンプレの美味しいとこを味わいたい」だけ。

これすごい。メタフィクション的な手法はいろいろあるにしても、主人公が徹頭徹尾「ジャンルのお約束を演じるため」つまり表現物の表現の表層の美味しいとこをやるという読者との共犯関係というか読者の欲望そのものの代弁者でい続けていて、さらに作中の他の登場人物や状況に無関心なため、読者の欲望から乖離することがない。自意識が生じる余地がないのだ。

のみならず、主人公が活躍するために、ファンタジー世界の側のほうが主人公の側に勝手にすり寄ってくる。主人公が思い付きで口にした出まかせの設定が、実は世界の真相を言い当てていたことになってしまう。本作を見て、フィクションに重さが生じてるとは口が裂けても言えないだろう。

本作は「ジャンルのテンプレを味わいためだけ」に純化された結果、ティーンエイジャーは特に疑いもなく本作の内容をカッコイイものとして受けとめられ、もっと上の年齢の、昔なら「うる星やつら」のひねくれた皮肉に反応しながら自意識を弄ぶことで年齢層のズレを誤魔化しながら受容し楽しんでいただろう層にもウケている。メタフィクションの技法で生じるたぐいの、うる星BDで典型的であったような、自意識というのが、ここでは絶対に生じない。極限まで酷薄。

ここまで削り込めるんだ、という驚きがある。ハードボイルド。

凄い。