エターナルズ

長い。東映特撮劇場版や東映アニメ劇場版で60分で済む話を2時間30分。2.5倍。人物紹介が欲しいとしても10分加算して70分が許容範囲。

話を2.5倍に薄めた分を埋める要素が皆無。流石に退屈過ぎて見る必要なし。

あえて評価に足るとこ探すとして「役者の顔が良かったがその役者が出てる他の映画を見とけばいい」「吹き替え声優が良かったがその声優が出てる他のアニメ見とけばいい」という程度。

同じくらい長かったデューンが出来てたことをあげてみる。長尺の間をたっぷり使ったりロングの空気感ある風景ばっか突っ込んだりメカニックの重厚さを演出したりクリーチャーの荘厳さを演出したり悪役の邪悪な雰囲気たっぷり見せたりしてた。どれも「まあこの体験は他メディアの短時間摂取じゃ手に入らないな」って思わせる程度の説得力があった。エターナルズにはそのへんの独自体験感は皆無。

ではヒーロージャンルとしてどうか。ヒーローの能力を実写化したらこんな表現になるんだ、という工夫や驚きは品切れ。目からビームもマインドコントロールもイリュージョンもX-MENでもっと面白い映像あったよで終わる。空中にCGで線を描く身体強化のやつ(たぶんドクターストレンジの空中魔方陣の発展のつもりじゃないか)は地味すぎで本来なら小ネタで使うぐらいの代物。人間描写はヒーロージャンルでは元来が添え物なので言及する必要ないがあえて言うとして最初に言った通り60分で済むだろとしかならない。スパイダーマンX-MENからこっち20年以上続けてきた「アメコミヒーロージャンルはこんなもんでしょ」というジャンル枠の中で作ってるだけのジャンル物の、およそ考えうる最安のリーズナブル枠。

といっても別に本作が極端に悪いというわけではなく、元からマーベルのシリーズ路線そのものが低調で見るとこがどんどん減ってた。大量に作ってるんだからネタ切れは仕方ないのだが見る側も期待するハードルが下がりすぎ、ここに至って金払うレベルを大幅に下回る現状に対し麻痺しつつあるといったとこ。まあディズニーが販促費をSNSにバラまけばいいという話なのだろうし、エターナルズ誉めてたら「ああカネもらってんのね」って感じで受け止めとけばいいぐらいの話ではある。

 

その他。目からビームのリーダー格で内ゲバってる時点でX-MENを思い出さざるをえないわけだが、2000年公開のX-MENの1作目を思い出してしまうと、あそこから堕ちに堕ちた結果がこれかあ、となりがち。

なんつうか2000年のX-MENってけっして出来がめっちゃいいわけではなかった。当時としては十分以上に及第点、今から見てまあほどほどに上手く作ってるぐらいの代物だったんだけど、「当時としてはこれでオッケーという方法論」を、20年も経ってるのにまだリサイクル利用するの? という残念な意味での想起がエターナルズのショボさを加速させてる。キャラコスチュームを暗い色に寄せて「これがリアル」で済ましちゃうノリなんて、アイアンマンがパワードスーツをバンバン増やしまくり、キャプテンアメリカが1作目はケバケバしい恰好を披露し、ガーディアンズオブギャラクシーで緑やブルー肌の宇宙人、はてはカートゥーン調のアライグマまでユニヴァースの中に入れ込んでる時点でとっくに終わってるだろう。一般人もサノスを知ってるマーベルユニヴァース内で、もっと化粧を濃くして髪の色をキャラのカラーにあわせて赤青紫緑白黄にクッキリ染め(それだけで30分時間短縮できる)て現代都市を歩き回って「人間のふりをしてます」って言ったところで文句なんか出ないだろうに、やらないのである。

ポリコレにしてもそのへんのショボさがついてまわる。2000年のX-MENの頃にしても、監督のブライアンシンガーが「自分はゲイだからマイノリティの問題を訴えたいんだ」とか言って同じくゲイで有名なイアンマッケランをマグニートーに連れてきて、という段取りズムを振り回す盤外戦術コミでまったりとしたポリコレ的な政治メッセージとアメコミ映画というサブカルチャー娯楽をなんとなく両立させてたというのが正直なとこだろう。あれから20年を過ぎた今、無難の中に無難を通して取っかかるとこがほぼ何もなくなったツルッツルの児童向け情操番組をうすーく2.5倍に薄めた代物が最新作である。児童向けなら短くしろや。濡れ場必要な話かよコレ。

本作自体には薄い以外の何も言うことはないのだが、ここに至ってしまった過程には残念というほかない。せめてトランプのそっくりさんを出すとかコロナウイルス下の社会描写をやってみせるぐらいの気骨は欲しかったんだが、まあ無理な相談ですよわかってるわ。