映画大好きポンポさん(映画)

原作マンガ好きなので他メディア展開には不安を覚えてた。原作は勢いで突っ走ってくのが何より魅力なんで「原作に忠実なアニメ化」なんてされようものなら間の抜けた、かったるい、退屈な話になる可能性大だったから。けどまあ原作好きだから見に行かないわけにはいかない。動画サイトで流れてる予告編はいかにも原作のいいとこをそのままに魅力的に作りましたっぽい。それも不安を感じさせる。原作をそのままに諸要素をアニメの得意演出で膨らませてったらスピードなんてどっかに消え去ってしまうから。映画にするなら原作において重要な意味を持つ尺90分は守ってくれなんて声も聞こえる。けど原作をそのコンパクトな勢いのままに作ったら90分なんて長すぎて埋まらない。

見たいけど見たくない。勢いつけたくて実写のハリウッド内幕映画を先に見た。これが実に前座にはピッタリの頭カラッポにしてくれる映画で最高だった。これなら見れる。さあポンポさん視聴開始だ。

冒頭いきなり歌シーン。ああ「近ごろ流行りの劇場版アニメといえば歌うシーン入れとけ」だ。警戒感が蘇る。ジーン中心に話は進む。過剰気味にアニメならでは映像演出盛ったフィルムですと強調したカットが続く。魔法少女なポンポさん。ジーンの編集シーン、ジーンのキャラに全然似つかわしくないとしか思えない過剰アクション表現。悪い方への予感膨らむ。ナタリーのシーン出てこないなと気付き始める頃にナタリーの話出てくる。これだいぶ割り切ってるぞ。存在感役者マーティンブラドック大塚明夫登場、ブラドック大塚はまあそうなるよなであり納得点でもあるが妥協点でもある。映画撮影開始。こっから「ん?」と違和感が挿入。撮影終了、予想を裏切る方向へ。

漫画はポンポさんの天才で回してた。映画は一人の突出した才能を否定する。映画撮影は多くの人たちの協力で成り立ってるとこを見せ、そしてさらにより多くの人を巻き込んでく。ジーンくんの映像演出過多気味に思わせた編集シーンは原作と意味を変える。この監督は底意地悪い。「いかにも〈原作に忠実〉でござい」をアピールした前半はいったい誰を騙すつもりだったのか。原作漫画も底意地悪い。底意地の悪さという共通点によって全く異なる二つの表現同士が通じる道が見えてくる。

終わってみればポンポさんだった。見事にポンポさんだった。

「原作に忠実」これほどバカバカしい言葉はない。メディアが変われば意味は変わる。文字で書かれた台詞は音声にすれば意味はまるで違ってくる。マンガのカットは映画のカットと重ならない。「原作の台詞をシーンを忠実に」なんて作ったら単なる別物だ。別物を指して「原作を忠実に再現」と語るファンとは一体何のファンなのか。原作は素材であって完成形ではない。じゃあ何で原作の名前を冠するのか、結果的に原作になってればいい。そしてポンポさんは漫画ですでに答えを用意してる(原作2巻読め)。映画は答えた。
f:id:tdaidouji:20210606144251j:image