@oyomot: 日本のアニメや漫画は本当にストーリーしっかりしてます。バットマン基本的にミステリ仕立てとかサスペンス仕立てとかだけど抜けや穴や突っ込みどころがないのを探すのが大変って感じなので、忍者バットマンは「超展開すげー」なんて宣伝より「話がしっかりしてるバットマン」と宣伝すべき
@oyomot: まあアレです、アメコミバットマン当たりも外れもあるけど、序盤で凄いこれからどうなるんだって掴んでおきながら後半になるほどgdる構成力の無さというか人気キャラを網羅しないといけないノルマにアップアップで伏線とか行方不明になるのが多いのに比して、日本作品はホントに出来がいいです
@oyomot: そんで、まあなんつうか、たぶん見事にターゲットにされてるんだけど、凄くノれるかというと地の瞬発力に欠けるので「やー全体の構成とかバランスとか見事にこっちむけだなー素晴らしいなー」という客観で嗜むとこ以上には引き寄せらんなかったかなー
@oyomot: 忍者バットマン。昔のアメコミのノリを懐かしみつつ今どきのアメコミの構成に仕立てていて、「実写もいいけどやっぱコミックスなんだから絵で見たいよな」というアメコミ読みを綺麗にターゲッティングしてた。アメコミ映画じゃないんだアメコミなんだ、とかそういうノリです
@oyomot: RT @gaitifuji: この本を読んだ。強烈の一言である。ここで書かれている事が本当ならば、この会社がやってること、または社内で起きていることは、反社組織やカルト宗教のそれと変わりない。 URL
@oyomot: こうして「大学で教えてることっていいかげんなんだな」というアカデミズム批判、大学批判の材料が積み上がった果ての現状の学術軽視なんだろう
@oyomot: ああ、でも既に手遅れか。この論法でもう「今回のはゴンブリッチと同じレベル」と暗に引き寄せてるが、つまり「ゴンブリッチの著作はこの程度のレベルであり批判は超簡単、すげえ雑」とアピールしてるに等しい URL
@oyomot: そんなことにはなってほしくないですねえ、という話でした
@oyomot: ロジック破綻をその都度先送りするためだけに労力を費やし、そのためにアカデミズムの用語を乱用し蕩尽しアカデミズムを解体する側に回る。
@oyomot: こうして人はついさっきまで自分が批判してた側にあっさりと転向するわけだけど、転向して以前の自分の所属してたロジックを批判するならまだいいんだけど、実際はしばしば転向した後も転向前の理屈を捨てないで多用する。そんで、転向前と転向後の論理矛盾を誤魔化し塗り潰すためトンデモに飛躍してく
@oyomot: 美術史やってんだから、自分が美と向き合う、自分が歴史と向き合う、についちゃ、習うことは習ってるはずだろうになあ。貧すればなんとやらとならざるをえないのか
@oyomot: 食い扶持のためには汚れ仕事もやらにゃならんという話なんだろうけど、自分の食い扶持のためならアカデミズムを守るためのルールを無視してもいい、というスタイルでアカデミシャンを自称する人に、この人もなっちゃったんだな、残念、という感想
@oyomot: アカデミズムの言語を自由に使えるのはアカデミズムの場、常に論文が更新され続けて常に情報が更新され続けるという仮定のもとに、一定の水準以下を切り捨てるというルールが機能してる極めて限られた場のみで、その外側に専門用語を持ち出すのは相応の手続きがいるだろうに、随分と手抜きに走ったなと
@oyomot: 今回、だいぶ残念だったのは松下氏だった。この人、例えば上野でやってた「怖い絵展」みたいな「メディア戦略のために独自文脈で訴える」のを批判したりしてるわけだが、今回、「怖い絵展主催側に自分が回ったらアカデミズムの言い訳に引きこもる」… URL
@oyomot: 日経かー。わかりやすい逃げ方だなー。ポイントは、こないだも言ったけど、あのへんらのゲーム業界ネタへのウザがらみは今回が初じゃないってことね。今までも何回も同じアプローチを繰り返して、それで上手くいかず、ほとぼりさめたらまた同じことやらかすを繰り返してる