「この世界の片隅に」

映像表現の独自性という観点でひとつの達成を得た感があります。感性の赴くままにというより、もっと理知的に、かつ泥臭く、ネット上でも読める監督のコラムや発言そのままの、地道な作業を丹念な分析と推敲で結びつけた、ただひとつ、ひとつである、という趣。
既存の文脈や記号を解体し再構築する作業が幾重にも積み上げられて、構成要素は既知のそれでありつつ一見して異なる要素が継ぎ目なく結びついており、それこそTwitter上で発信するよう短い言葉でまとめようとすると陳腐にならざるをえないのは仕方ないかと。優れた映像作品はどれもそういうものだ、とは思いますが、本作はアニメーションの原理原則レベルまで解体再構築を図ったのだなという手触りがありまして、アニメとは1コマから次の1コマへの1枚1枚の間に全てモンタージュが組み込まれているのだ、という、原理主義的なあり得そうにない観念論が実作業として達成されてしまった、その凄味がまるで既知の文脈からの飛躍や断絶すらもなく延長上にあるという、アニメーションというのは、あるいは映像作品というのは、どの段階で、いつの時代から、こうなったのだろう、あるいは既にこうなったのを自分は見逃してしまっていたのだろうと、不勉強を悔やみます。