「魔法少女育成計画」1話から6話まで。

めずらしくリアルタイムで追いかけてますが、大体想定してた流れになっており、アニメ化は難しいよなあと、楽しめるような楽しめないような感じになってます。
この話はアニメ化が難しいだろうと思う一番の理由は、原作がキャラクターの心情に寄り添って文章が作られてて、「キャラクターの心理の流れ」以外の構成要素が薄いことでした。外から眺めた場合、話が繋がらない、んですよね。ストーリーの方向性を決定づけるような大きな仕組みは存在しない。あくまで「視野が狭くて愚かな行動しか取れない魔法少女たち」の目線に忠実であることが、原作の作り方で。
なので、心理の流れを書いていく原作の文章と違って、あくまで外側からの視線でしか見られないアニメだと、「どうして、そういう流れになるのか」が説明できてないわけです。具体的な例でいえば、物理的な場所に居合わせるタイミングとか、そういった時間空間の組み合わせ方については、あまり説得力がなかったりします。視点キャラクターが移るたびにポンポンと飛躍することで、そのへんを誤魔化しているというか、気にならなくさせている。
なので、アニメ化した場合、視点が移るたびに飛躍するのを、どの形で整理していくのか、非常に難しいだろうとは思ってました。個人的には、原作の、「少女たちの視野の狭さ、他の魔法少女ものだと中々救ってくれない、地べたにべったりと貼りついたローカル感」のニュアンスだけを掬い取り、キャラクターの個性を残して、ストーリーは大幅に改変したほうが上手くいくのではないか、と考えてました。もちろん、このご時世では「原作と異なるストーリー展開」など許されるはずもないので、夢物語でしかないのですが。
現状、実際に作られ、発表されているのは、番外のエピソードを織り交ぜつつ、原作本編のキャラクターの心の流れをどうにかして外から見える形で説明を付け加えていこう、というもので、無難かつ妥当な選択であり、オリジナルの会話のやりとりも、なるべく短いやりとりで説明を説明臭く思わせない、よく練られたものだとは思うのですが、原作の各視点の記述を外側から補完する形になってしまっているため、あるキャラの記述から、次のキャラの記述へと移る、その間の飛躍が、どうしても説明しきれないで残ってしまう。
繰り返しますが、原作では、記述自体が「視野の狭さ」に意図的に寄り添っていたから、そこは重要じゃなかったんです。これは、「メディアの違い」という、絶対的な差から生じる問題点であって、原作者の不手際とかアニメスタッフの能力のなさという話ではない。あえて言うなら「原作に忠実」でなければならず、「アニメ表現に適したシナリオ展開、セリフに改変する」という方法が使えない、現状のアニメ制作事情の不自由さから生じる問題です。「原作と同じテーマを描こう」とするなら、手段として、中途の台詞やシナリオ展開、場合によってはキャラクターの個性も、変えないわけにはいかないのが本来なのですが、それが出来ないのが現状のメディアミックスの限界です。
さて、話をアニメに戻すと、現時点まで、アニメ制作の諸事情からくる悩みはさておき、非常に丁寧に作られていると感じます。
で。
お話として、スノーホワイトに話を集中させている。(原作は多数のキャラに話をばらけさせた、非常に殺風景なものになってます)
原作よりもスノーホワイトに話を集中させている、原作よりもスノーホワイトにかかる負荷が大きい。
この流れを維持するなら、原作よりもスノーホワイトの結末は重いものになるのではないかなと。
僕はスノーホワイトがあまりにも好きなので、もしかしたらと期待してしまうのですね。
このアニメの結末で、閾値を超えてくれるのではないか、という。

ちなみに以前の原作の感想。
http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20120626#p2