演劇と

 書くのめんどくなった。

 舞台では重なりはないという話から漫画が線を駆使することで映画を模して広がりを見せたようにAVGも重なりを駆使することで結果的に演劇を模した形になったのであってそれを原理的に演劇に近しいものであるかのように語るのは漫画を映画と同じとみなす漫画読みが今日まずもっていないことから見ても説得力がないという流れにしたかったけど今どき元長柾木の苦し紛れの与太を信じてるバカもいないだろうと少しばかり達観した。つーか本当にいないよな? 今木さんもやまうちさんもコロッと引っかかってて何でこの二人ですらと当時は思ったものだが。

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http://www.google.com/search?num=100&hl=ja&q=%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%80%E6%BC%94%E5%8A%87%E7%9A%84+&lr=lang_ja

 むー。

 なんかなぁ。たとえば元の文章がいつ書かれたか知らんけど、

>「地の文」による表現        >小説的要素
漫符吹き出し・デフォルメ     >漫画・アニメ的要素
>「立ち絵+せりふ」による表現    >演劇的要素
>シーンのモンタージュ・カメラワーク >映画・アニメ的要素
>カメラワークによる表現       >映画・アニメ的要素
http://ruriko.denpa.org/200702b.html#2002

とか結局、映画やカメラというコトバしか映像に対して説明できなくて、それに収まらないから演劇的という物言いを引っ張ってるだけなんですよ。何の説明にもなってない。「立ち絵」が本当に生身の人間が舞台に立ってる(しかも演技したり歌ったり踊ったりする)姿のそのまま互換になるわきゃーない。元長柾木はそれを理系ホイホイのためのSFコトバで誤魔化した挙句にエロゲを作れなくなったんだし、そこんとこで夢をみるのはもうやめたほうが。別に上の引用の人が夢みてるわけじゃないのは百も承知だが。

 それにしてもしかし、演劇たって能からオペラから千差万別だし、映画だって自分らなりの手法でもって「演劇的」なるものを受け継いでるはずなのに、そのへんどうなのさ、と言いたくはなる。せめて「映画とは異なる手段でもって演劇の異なる要素の再生と受け継ぎを目指す」ぐらいの言い方はできなかったのか。