しんどろぉむ

 重なりがコマ単位のままな場合、そこに描かれるキャラクターはコマ内部の空間に収められてしまいキャラクター自体がフラットに至ることはない。キャラクターがページ全体をコマとして使ってしまうのではコマは廃棄されてなく、キャラクターがコマを超えた働きかけを行うためには本来ならキャラクターの外側全体に向けてそのキャラクター性を発していく形でなければならない。萌えキャラという考え方が皮相的に見えるのは本来なら外に向けて際限なく投射されるはずのキャラクター性が、キャラクターを個別に独立した人格を持つ個人とみなしキャラクター性を個の中に封じ込めようとする受け手の反発に出会い、結果として内を持たないキャラクターの表層の付属物にそのキャラクター性が留まるためだ。

 重なっている部分は隠れることを意味し、隠れることが私になる。キャラクターはレイヤー表現で表示される段階で本来なら人として提示され表現されているのだが、そうした理解は画面を三次元空間を基準として視線を注がれることで排除され、記号的なキャラクターと解釈される。

 こうした萌えキャラに対する押し付け解釈に対し反論を試みたのが高島ゆうき『桃色シンドローム』である。「戦闘美少女なんか欲しくない、欲しいのは魔法少女だ」と主張するエロゲオタを主人公に据えているとゆー特定方向への批評精神あふれる作品だが、テーマレベルで重なりを掘り下げている点が注目される。この漫画は一見ありふれた古典的お色気コメディーを踏襲しているが、そうした枠組から微妙に逸脱している。Hなシーンをほのめかしつつ肝心の部分はギャグやコメディで誤魔化しゴールを先送りし続けるのがお色気コメディの基本だが、現在の多くのエロコメ作品がそうであるのと同様に、ここでは「ごまかし」が機能していない。例えば2話の冒頭、P43で「ん…」「んぅ…う…っ」「も…」「もう…」「もう だめ…っ」「だって スミヤっ」「こ…」「これ 食いこん…っ」「んぅっ…」「あ…っ」「あ…っ」「あっ… あ――っ!!!」という少女の官能的な台詞と表情が並び、ページを繰ってP44に至ると実はHなことはしていないという典型的なソフトエロの手法に見える。しかしP44をよく見ればわかるが、食いこんでいる部分は明らかに女の子の大事なところであり、少女は本当に官能的な意味合いで引用の台詞を言っていた可能性が極めて高い。

 続く。