線の

 線に関する定義や哲学や雑学や考察の類は読んだことないので(そういうのあったら教えてください)類推するしかないのだが。

 マンガについては「入りと抜きがあるような描線」よりも、ただ定規で引いただけであるような線をどう扱っているかが問題となるはずで、というかそちらのほうがより作家性に近しいはずで、というより描線てのは元来「ただの線」のはずなのにことさらにペンの入りと抜きがあってみたいな言い方をしてしまうのは捩れているはずなのだが。漢字の書き順をことさらに意識し止めや跳ねを定義しようとする感覚は記号と絵画をダイレクトに結び付けてしまうけれども、字を作っているはずの線については意識されようがない考え方ではある。少なくとも真・善・美の類をことごとく無視し、記号の組み合わせに還元されてしまう前の構造みたいなのそのものであるようなのが線のはずで、つーか非線形って傲慢なコトバだよな。線を定義できるつもりなんだ、線の概念を扱いきれないから線から逃げてるだけじゃねえのか、と言いたくなりませんか。ならない? いや正しい数学しらないから。

 線をかくということは雑に言っても構造を俯瞰することなんでメタ構造なんであって、記号を見出すことは本来のメタ構造をいったん忘却することで、ああヒモ理論勉強してみたいなあ今度あったら入門書を教えてください理系の人たち。

 とまれ時間や空間を否定するのが線で、だから「線を引く」というのは倒錯だ。倒錯してるから「線を引く」というところには何でも乗っけられる。TVのエバの最終話でもそんなことをやってたが、あれはズルだ。