ロボと学園

 僕の知らないアニメ語り華やかなりし昔、リアルロボットとは突き詰めてくと制服(軍服)である、て話があったらしく。

 もちろん、ガサラキみたいなパワードスーツへの純化と対になる考え方で、ナイトメアフレーム=馬=貴族階級だけが乗れるて設定は制服志向。KMFはDVDについてる設定で「ヒコーキの脱出装置に手足をつける」てな開発史が載っててアレな人たちに対する用意周到っぷりもここまで来ると妄執に近いというか監督大好きと思った。

 じゃなくて。ヒコーキVS戦車は、裏に制服(組織・社会の力の延長としての個の力)VSパワードスーツ(個人の身体能力の伸長)の意味がこめられてるのだろう、と。市街戦に特化したガサラキのTAと、空を飛ぶKMF。市街戦志向はつまり「まち」への執着。空を飛ぶのは人の集まりへの執着。

 まだ続くよ。

 巨大ロボットの体内に町を抱え込んでいるマクロスは、そのサイズが人と対比されない。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm261075

 ガンダム好きな周囲が嫌でアニメ雑誌なんぞ読むこともなかった僕が最初にライブトミノなるものを(半強制的に)見させられたのが上の富野インタビュー映像で、基本的にはターンAで様々なサイズの二足歩行が並んで走ってたり、ダンバインの妖精とかもこの路線なんだろうなとか、そーゆー感じで見てたのだけど、マクロスという、人の形をとることに殆ど意味がないものが人の形をとるという路線は、この考え方とは言うまでもなくそぐわない。

 もうちょっと言うと、トランスフォーマーの直接的なご先祖様であるバルキリーの、現実にある人型でない(道具として実用的である)ものが人型に変形するというのは、逆に言えば人の形をしていたものが人型とかけ離れたものになるということで。

 元来、空を飛ぶロボットいうのは人でないのに人の形をしていることとイコールであり、それこそが何より意味を持っていたはずだが、人型ロボットというギミックを見慣れてしまうとそーゆーふうにはなかなか思えない。というより、人が人の肉の形をしていることがあまり重要じゃない文化圏なのだろうとは思う。