妹と姉(母と娘、幼馴染と転入生、メイドと犬)

http://d.hatena.ne.jp/nanari/20071020#p1

『姉しよ』の話を持ち込むと話が面倒になるのです。「姉」てのは「妹」や「母」からの離脱の思惑がありまして。

『姉しよ』のスタッフが姉の次に取り上げたのはツンデレで、次は執事。これは基本的には男の子保護の保守反動の流れになります。ツンデレはキャラクターの内面や奥行きを徹底的に排除してったノベルエロゲのヒロイン像に外付けで内面を与え、それを回収する形。執事は言うまでもなく「家」「格式」「伝統」を請け負う役割。執事バトルエロゲとか零落マッチョの窮みを突っ走ってることだし、血気盛んな人たちが叩くのはこっちだろと思いますが、さておき。

『姉しよ』のライターは割と誠実なほうで。ノベルエロゲの男性主人公は構造的に絶対にヘタレになるしかないにもかかわらず、エロゲマの声としてヘタレ主人公が嫌だという声がなぜか大きいのを受けて「ヘタレだけどヘタレじゃない」バランス取りの線を発掘してった。ちなみに、この路線でバランス取りを行うと代償としてドラマの起伏を作りづらくなり「空気シナリオ」「雰囲気シナリオ」へと向かいます。無理に話を盛り上げるとやたら反動的で胡散臭い代物にしかなりません。

 で、人称の経路の話に沿っていえば、弟は実質プレイヤーと分離してて、プレイヤーは姉を経由して人称の発し手である弟の空也へと向かう。男の子の復権。だからシステム的に枠組みを二つ作って、セックス技術を磨くのとヒロインの物語に向かうのとで循環させ、複数の姉を経由してセックス技術を磨き目標の姉を倒すエンディングでは留保をつけて「男の子の復権」に待ったをかけるんですけども。このスタッフによる執事ゲーが「空気ゲー」だったという話は、そら、そうなるしかなかろうというかジャンル設定を聴いた瞬間にそこまで読むべき。

 えーだから、姉たちから発せられるのは「くーや」「空也」ですので、「母」や「妹」ではなく個である人へと向かうのねん。「姉」は神の領域ではなくて、人の領域、カウンター母やカウンター妹の思惑が込められてる。

 そんなわけで、『 Garden 』の主人公にデフォルトで実姉がいるてのは、カウンター『水月』でありカウンター『さくらむすび』であるわけでして、「妹でも母でもない(けれども妹でも母でもある)彼女たち」と向き合うってことなんです。ここ割と大事。