んで

 シンちゃん14歳の内面は最早どうでもいいんだろうな、とは思う。基本的には、処理しきれない量によるけたたましさ、物量作戦なんだろう。ヒロインが31人いたり、ブルーレイのソフトを100インチの画面で見て作画の細かさをチェックしてったり、原稿枚数5千枚だったり、執筆速度が超速度だったり、ショップごとに特典がたくさんついたり、アマゾンで売れ行きがトップだったり。

 テーマやらモチーフやらガジェットやらをこねくり回すことで物語を壊してくのではなくて、量で物語を押し潰す。

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 為念。暴力行使のルールへの言及「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」(コードギアス)の正当性は作品レベルでは一話のブリタニアによる大量虐殺の描写によって成立してて、んで、その言葉をルルが発言する正当性は22・23話のさらなる虐殺劇を巡って引っくり返されるようになってる。その後の話は見てないが。

 これは別に作品テーマとかそーゆー話じゃなく、バイオレンスを扱うエンタメにナイーブな人間ドラマを突っ込むための最低限の作法と考えておけばいいと思う。まぁ、谷口監督については小学校に出現した巨大ロボットを2話目で早々に自衛隊が接収に来るライジンオーが演出デビューだし、暴力の行使を巡る話が延々と続くリヴァイアスが監督デビューだし、比較的、作中の暴力行使の線引きに対して他より意識的であるとは言えるけど。

 んでまぁ一応書いておくと、ナイーブさが暴力行使を隠蔽しがちなのが「子供向けフォーマット」に強引に「大人向けドラマ」を突っ込んできたTVアニメや少年漫画・少女漫画等々の「オタク文化」の面倒くささではあり。低俗さの上に居直って高尚さを弄ぶのがセオリーなんで、それは仕方ないんだけども。

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 アメコミの自意識地獄の原点の一つ『ウォッチメン』のヒーロー禁止法とか。

>覆面のヴィジランテ(自警)活動を禁止するキーン条例
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%B3

 このヒーローが禁止されてる世界では、アメコミの主流は「海賊物」(現実では50年代に流行りかけて消滅したジャンル)になってるという設定。少年ジャンプを「復活」させたのがワンピースだったり、カリブの海賊がまさかの大ヒットだったりする現状を予言してるようでもあり。あるいは元ネタなのかしら。