例のアレ

 知人が麻雀大会の景品でペアチケットを手に入れたので。彼はオタ業界人なのだが周囲の業界人が絶賛してたらしくそれなりに期待してて、見てつまんないつってションボリしてた。僕はまぁ、こんなもんだろう程度。

 以下、適当にネタバレしつつ、他の誰にとってもどうでもいい話。

 シンちゃんのあまりのペラさにちょっと驚いた。デスノ夜神月ぐらい(つまりステレオタイプな少年漫画・ロボットアニメの普通の熱血主人公ぐらい)ペラい。あと、名前のない連中がたくさん出てた。一方で、名前のない彼らが敵襲で死体になって転がってる画像があるわけでもなかった。

 無辜の市民が何の理由もなく死んでくのを映像に捉えてるかどうかを、この手のヒーロー話の作り方のボーダーラインにしてる。「聖闘士星矢」「天空戦記シュラト」なんかは善悪を語ってても別に悪人が虐殺したりしないので、人間ドラマで盛り上がる。犠牲者がたくさん出てるのが少しでも画面に映されると、原則としてどんな繊細で綿密な人間ドラマやってても「そんなことをやってるヒマがあったら戦って敵を撃退しろ」という気分になる。

 例えば、ザンボットだと守るべき地球人に犠牲者が大勢いるが、初代ガンダムになると連邦軍支配下の民衆側の犠牲者というのは第1話のサイド7ぐらいしか出てこない。以降はホワイトベースがジオン制圧下の土地や連邦軍の基地内にいて、連邦は官僚的に描かれてばかりで連邦軍が誰を守って戦ってるのか全く見えない。一方でジオンの兵士は一般人との交流がやたら描かれる。

 TVのエバは描かれ方としては身内しか出てこないガンダムタイプ。関係ない市民はあらかた疎開してるし、一般民間人の犠牲者代表のような扱いだった鈴原くんは話の途中でパイロットになるし、関係者になれない相田くんは関係者になれないことに対し反発し屈託を抱く。だからパイロットも悩んでるヒマがあり「おめでとうありがとう」も成り立つ。

 で、ロボやヒーローを見続けてる俺より同年代かより年上の人たちは、守られるべき市民の犠牲者が積極的に描かれてなくても、そーゆー市民がいるものとして補完して見れるように訓練されてるのだが、今回のヱの無名の人たちの顔の挿入はそっちに振ってる気がする。つまり、心象風景や極太明朝やアレな謎を大幅カットして普通のロボ物にシフトさせてるような。