続き4

 アクセス数も稼いだし、そろそろ飽きてきた。

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 いちおう。「空間」と「場所」は別。例えばキャラクター的に見たとき、幼馴染は空間。

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「ゲームで泣けるという言葉の意味が全くわからない」とはコンピューターゲームをやらない知人の言葉。コンピューターゲームが出現し、シナリオがつき、それに感動して泣くなんてのは半世紀前からすれば常識の埒外の出来事だったし、FFやDQに鍛えられた最大数百万人ぐらいの人たちとその周辺以外の数十億人にとっては今でもそうだと言える。宗教儀式での高揚と結びつけて説明するほうが、まだしも理解が早いのではないか。(実際、萌えるなんてのは宗教に結びつけるほうが説明しやすい)

 臨場感溢れる三次元ドラマやロボット相手の恋愛だったらSFの想像力の範囲にあった。だからインタラクティブメディアなどといってコンピューターゲームを持ち上げるときは、そうした想像力の方向に沿った発展をもてはやした。「ゲームで泣ける」が計画されたわけではない。SFは携帯電話のみならず「泣きゲー」の出現を予言できなかった。「泣ける一本道シナリオは来るべきバーチャル人格やコミュニケーションツールに繋ぐための暫定措置でしかない」と、過去のSF的想像力に沿った形で現状を解釈してみせたりするほうが気楽ではある。しかし一方で悲劇の研究じゃ飛躍しすぎと思うが。

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 固有名詞を使うことで、どこか留保がついてしまう。ノベルゲームのシナリオは基本的に言葉の外側に示す先があって、言葉のあり方が小説の文章や舞台劇の台詞なんかと比べて内在的でないように思える。程度の問題ではあるけど。

 だから多分、実録的なものであっても、麻枝准なら書けるんだろう。百万歩譲って月姫の頃の奈須きのこも。彼らの文章からは血や精 液の臭いがする。一方で、彼らにはそーゆー形のものは書けないだろう、というのも。

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 手軽に盛り上げるための派手な要素が使いづらい、と書くべきなのかな。そしてセックスシーンは派手のひとつの極致ではある。

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 NHKの特番で、ウクライナで東部戦線を生で見た爺さんがFPS系のゲームを遊ぶ孫たちの姿に「子供達は戦争の悲惨さを判っていない」とか呟いてて。まぁ「戦争映画なんか絶対見に行かない」という太平洋戦争の帰還兵の人の話は昔から聞こえてくるのではあるが。