続き3

 実際にあった出来事を扱うこと、の続き。

 そのさん。

>アートとは、それ自体が目的、それ自体が価値でありうるような、他のナニモノに奉仕するためのものでもない

 他から独立させて考えることが問題なんです。体験する全てをリンクさせる必要はないし、そんなことはまぁ、不可能です。ただ、生活全てをリンクして考えるために作られた仕組みというのはあって、その仕組みから外れたものについて見なかったことにしとくのが、その手の仕組みを日常運営するための基本で。一応は完璧に運営されてさえいれば、見なかったこと、なかったことにされてたものも、いつかは発見されて仕組みに組み込まれることになってるんですが、仕組みがあまりに大きく複雑になりすぎてて、完璧な運営は僕が生きてる周囲ではちょっと期待できない。

 なので暫時、誤作動を仕込んでおきたい。節税対策とでもいいますか。

 ところがですね、それ自体が完結してて他から独立した体系の仕組み、とか言われてしまうと、そこに誤作動と自己修正は発生しようがない。そういうのが大きく出張って他の仕組みを排除しにきたりすると、今度は対抗措置とぶつかったり。こうなってくると、どこの仕組みもフォローも誤作動も許されなくなって多様性なんて言葉はサヨナラです。いや多様性って言葉も随分と怪しいんですが。

 こういう環境でのアートなんて言葉は、僕からすると今話題の厚生労働省社会保険庁です。仕組みとして大事だし、毎月払ってますけど、とてもじゃないけど完全信用なんか出来ないわけで、無駄に広告費を使ったり見当違いの場所にホテルを建てたりしないで粛々と本来の領域で本来の業務をやってくれとお願いしたいところ。