>何を描いてようが、そんなこととは関係なく、技術的な評価は可能だと思うんですよね。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20070910#p2
技術という話で言うなら、何を描くかも技術の範囲に含まれます。テーマと技術、題材と技術、素材と技術はさほど明確に分かれません。「○○という題材を通じて△△を描く」という言い方も割とよく耳にします。この場合の「題材」はどちらかというと技術に含まれるでしょう。「道具」という言い方をしても構いませんが、まあ今回は技術という言い方で。実際にあった事件を扱うのもそうした技術の中に含めて扱えます。
てゆか、メディアリテラシー、メディア論が流行って何年経ったか。内容と手段をそんな簡単に分別できないのは何だって同じです。
>別に「アート」じゃなくても研究は出来るかと。
えーと、僕らがどうかじゃなく、ハイカルチャーにしたいのですよ、ゲーム作品を指してアートとかゆってるアメ公は。(本当の欧州のハイソに受け入れられるかはともかく、彼ら的な扱いとして)だから、彼ら的にゲームをアートにしてくと、どっかで村上隆の等身大フィギュアみたいな形に変形させてくわけです。学問の形でろ過してくってのは、そーゆーもんです。
で、
>アートとは、それ自体が目的、それ自体が価値でありうるような、他のナニモノに奉仕するためのものでもない、人類が何千年もの間積み上げてきた偉大な「遊び」の体系だと、俺は思っています。
「遊び」とか組み込んでアートと言うのは、多分、文脈を外れすぎてて他の誰にも通用しないので、それを基準にガイジンや偉い人がゆってるアートと混ぜて語るとちょっとマズイ気がします。
>「実際の事件を扱えるのかどうかがどうしてアート性を語る上で重要なのかが分からない」
まず。
普通に流通してるアート性で語れば語るほど扱われてる対象から「遊び」は消えていきます。同じものを扱ってても、見えてくるものが全然違ってきます。ねじくれた挙句に現代アートのクソ長い解説文で飾られた村上隆の戦闘美少女になるんです。だから市井のゲーム好きの立場からはバカが調子に乗ってアート性とか語ったりするのは困るんです。
次に。
メディア毎の特性はきちんと考えましょう。ノベルゲーに小説の手法がそのまま使えるわけないのは、例えば高橋龍也氏の現状を見て考えて欲しいところ。
続く。