エロの有無 その3

 ここんとこで石川文之進で何度か検索してたり。

 当り前といえば当り前なのだろうが、女子高生コンクリ殺人の記事を読んでるほうがエロゲのレイプ物をプレイしてるよりは胃にくる。ちょっとした夢もみた。実録物を読むより情報元の不確かな新聞やネットの記事を読んでるほうが胃にくるし夢にも出てくるてのは、僕の情報の受け取る態度がそういうものだからだが。

 半ば冗談で見てたヤマカン氏の名前のモノをまがりなりにも真面目に見ようと思ったのは、氏が京大生のレイプ事件について何がしかで作らなければとどこぞで言ってたから、てのはある。エロゲ原作のアニメを全年齢向けで作ってる奇妙な環境の周辺で、そういう態度のひとつもあっていいはずなんだがと思ってたとこで、若気のいたりだろうと何だろうと、口にする奴がいただけでも価値があると受け取ったのである。アニメの『イノセンス』を指して「実写を超越したスーパーリアル」などと与太を飛ばす屑よりは、遥かに。

 実録物や現実にあった事件を素材にしただけで価値があがるわけじゃない。だから、その手のものが可能か否かで表現の自由などといった話に結びつける気はさらさら無い。ただ、そういう代物にどういう態度で接したか、ネット上のエロゲの感想やレビュー、あるいはムックでも記事でもいいが、そーゆーのを見かけたことはない。それに対しゲームだから当り前だと思うのはエロゲをゲームとして受け取るならその通りだが、もはや小説と同じだ、文学なのだと言い張るのなら、そうした実録モノ・ジャーナリスティックなモノとしてのリアリズムへの言及がまるでなされないのは何故だろう。どうやら社会派路線というのは21世紀のリアルを求める批評屋には全く求められないらしいが。

『ほとせなる呪 ちとせなる詛』が、その手の題材を扱ったものとして上手く出来ていたとは思わない。エンタメ本筋に繋げるために実際の事件とは異なる事件として描かれているし、実名が出されたわけでもない。あくまでモチーフに使った程度の扱いで、社会派だったり実録物だったりするわけではない。だが、その事件を題材にしたことが製作者からも言及されており、そして映画化されたりVシネ化されたりしては事件の扱いに対して批判や議論を巻き起こした題材をエロゲに使ったことに対して、エロゲを小難しく語りたがる連中が何か一言でも意見を述べたのを僕は見たことがない。