『ひぐらしのなく頃に』07th Expansion

さて、どっから手をつけていいのか。
これは経験則なんですけれども、ノベルゲーム作品についてのレビューや評論などを読む際、「これはSFである」と書いてあったらその作品はミステリーだと思って読むとオッケー、「これはミステリーである」と書いてあったらその作品はSFと思って読むとオッケー、と全般に言えます。
もちろん、ゲームに小説のジャンル分けを適用するほうが間違ってるんだけれども、ノベルゲームについてはネット上のサイトから評論の先生方に至るまで、あまりゲームだという捉え方がされずに、小説や映画、漫画の範疇で語られがちです。ゲーム評論の方法が確立していないせいもあって、結果として周辺ジャンルの言葉で語ったほうが語りやすくて、「SFです」「ミステリーです」という説明のされ方が多くなってしまう。仕方ないので、そういう評論文を読むための基本テクニックとしてSFとミステリを逆転させることを思いついたのでした。
例えば「シンフォニック=レイン」をミステリーであると紹介したサイトが幾つかありますが、SRで使用されるトリック・仕掛けは別にミステリの領域を目指してはいないし、むしろプレイヤー側のミステリー的読みの試みを挫折させるための仕組みが仕掛けられています。同様に、マルチライターの元長柾木は雑誌「ファウスト」に載せてる評論などで「美少女ゲームはSFの一形態であった」みたいな話をしてますが、別にそんなこたありません。いつぞやSFマガジンでエロ含めたノベルゲーが新しいジャンルのSF作品として取り上げられてましたが、アレもまぁ半分が外れ、もちろん雑誌「ファウスト」で「ひぐらしのなく頃に」の作者竜騎士07氏が「ミステリ作品は全然読んでいません」と回答してるのも予想の範囲内ってやつです。
いやもちろん、読者が「これはSF」「これはミステリ」と言うのは個人の自由なんですけど、その言い方ではもう、小説のほうのSFやミステリとは全く共通点を持たなくなるでしょう。
 
それは主に、マルチシナリオの形式において複数の分岐したシナリオをまたいで成立させているSFギミックやトリックが、小説で使用されるのとは異なる働きを持ってしまうことに起因します。宇宙人や超科学といったSFでよく見かけるギミックは、シナリオをまたいで使用されることで脱出不能の強権的な制度(密室のようなもの)と化します。複数の分岐ストーリーを読み解くことで明らかになるトリックは、異なるシナリオを読むごとに世界観が変容していくギミックとなります。
それはゲームという形式から読み解けば、ある意味で当然の事態です。「選択肢をプレイヤーが選択していくことでストーリーや世界が変容・変化していくSF的ストーリー」をノベルゲームであるとした場合、世界の変容はSFギミック(作り手の意図)ではなくプレイヤーの意思によるものでなければなりません。
あるいは「選択肢を分岐点として多様に枝分かれしていくことでゲーム世界を様々な角度から照射し全体像を明らかしていくミステリ的ストーリー」こそがノベルゲームであるとするならば、選択肢ごとに戻って全てを読み返し全体を把握するのは、ゲーム内の探偵ではなくプレイヤーの地道な作業と整理によるものです。
ではここでプレイヤーの代わりに上記の作業を行うキャラクターを作品内に投入したとします。メタフィクションな手法て奴ですが、作品内に登場したら、それは既にプレイヤーとは別人です。彼はプレイヤーが実際に行うキーボードやマウスやコントローラー操作を肩代わりしてはくれませんから、結局は制度側の代行者でしかなく、プレイヤーと対決し、しばしばプレイヤーを追い出すようになるでしょう。そしてプレイヤーを追い出した結果として残るのは、ソフト単価が高くて動作環境も整えなければならなくて、繰り返し作業を無意味に強いられて読みづらい文章を目の悪くなりそうな形で読まされる何だか理不尽な代物となる。そりゃ裸 C G の枚数=価格の相場にもなるわな。
すみません愚痴が出た。
というわけで前置きが長くなりましたが、「ひぐらしのなく頃に」は、当り前といえば当り前ですが、ミステリーというジャンルには適合しません。厳密には1本のシナリオだけを取り出してみせれば「ミステリー」と呼ぶのは可能ですけど。
 
本日は以上。前置きだけで終わっちゃったよ。