追記事項など。

弟切草」のテキストを巡って議論すべきだったよね。展開によって単語の意味はおろかグラフィックや効果音の意味も二転三転するんだから。
ただ、「弟切草」で感動的な展開に涙を流した、というのは考えづらいし、「泣きゲー」と呼ばれてしまう(この言い方は嫌いだが)それなりに巧妙なシナリオにおいては、当然ながら狙ったクライマックスで選択肢は出ない。小説にしたところで情報(伏線)が出尽くして状況がそれなりに確定した段階だからこそ状況のままならなさに「泣ける」わけで、それは滅・こぉるさんの文章でも念頭に置かれて、のっけから除外されている。
そして選択肢のところでプレイヤーを悩ませる手法*1は、プレイヤーに直接訴えかけるものの、結果として出来上がったシナリオの流れを見れば、主人公は決定的なところで明快な結論を出してしまっており、懊悩するだけで結論を出さない文学青年とは程遠い、決断力あるキャラクターになってしまっているのである。とすれば、主人公とプレイヤーは実は同じところで悩んでいるわけではなく、やはり「主人公(プレイヤーキャラクターもしくは視点人物)=プレイヤー」は成立していない。プレイヤーがゲームであることを忘れる一瞬に「泣ける」物語は成立していて、そういうデリケートな流れを上記の話はザックリと無視してる。

*1:二人のどちらもそれなりに主人公を物理的精神的に必要とするヒロインを並べてどちらかを選べと迫る「君が望む永遠」方式など